長崎で生まれその後大阪に出たりして最後に東京にきました。誰も頼る人がいないなかで、たまたま知り合った方に、その人のことは今でも「親父」と慕うんだけどね、拾ってもらって、そこではじめて溶接に関わることになったんです。
一生懸命に仕事して、少しずつ認めてもらえたのかな。あるとき当時の仲間5人で独立しました。オイルショック直後で大変なときでしたね。
東京で仕事をもらうと親父に迷惑かけるんで、富山とか新潟とか行って飛び込み営業ばかりしましたよ。もちろんどの会社も取引先があるのでほとんど門前払いですよ。でも10件に1件くらいかな、話を聞いてくれる会社があるんです。話を聞いてくれた会社はほとんど取引してくれました。ありがたかったですね。最初は小さな仕事からだけど、その会社とは今でもずっと取引させてもらっていますよ。
うちの会社はとにかく、人を大事にしてきました。人の気持ちを大事にする、っていうことかな。それを一番大事にしてきたつもりです。私も親父や取引先に大事にしてもらってきましたからね。自分がやってもらってうれしかったなぁということを同じようにしよう、って。
中には3回辞めてまたもどってきた子もいますよ。問題児だったとしても、そういう子ほど可愛がってるかな。
もちろん社員だけじゃなくて銀行さんも大事にしないとね。うちは自慢できることが2つあって、1つ目は「社員の給料を遅らせたことはない」こと。
2つ目は「銀行に毎月積み立てしてきた」ってこと。お金がないときから毎月1万円ずつ、それから少しずつ増やしながら積み立てしてきました。銀行さんも喜んでくれるし、それが信用になる。だから取引先から支払いしてもらえなかったときも銀行さんが助けてくれました。銀行さんも人だから。気持ちを大事にしないといけないなって、これまでずっとやってきました。
これからは会長として、業界全体を改善できるように働かせてもらって、若い子たちがもっと良い環境で仕事が出来るように頑張りますよ。